2009年3月25日
野球の神様
汗をかいてもTシャツが濡れないくらい乾燥しているロスアンジェルスの気候のなかで、ドジャースタジアムの芝生の潤いは意外だった。
ファンサービスの一環として、試合後花火を打ち上げるというので、グランドに降り立ったわけだが、本職のレフトの守備位置に立ち、芝生の感触を確かめたときのことを、日韓決勝戦を見ていて思い出した。
今でも私の 「理想の芝生」 である。
今少し、明大野球部の島岡監督の話しを持ち出す。
島岡御大に教えられたことのもう一つは、「野球の神様」 というものがいるということ。
野球部のグランドの敷地には小さなお稲荷さんが祭ってあり、初午(はつうま)という行事があることをそのことで初めて知ったし、グランドの一室で見つけた御大が「南無阿弥陀仏」とびっしり書いた紙片を見つけたことがある。
でも、明治の人とすれば普通の信心深さであったかもしれないし、これがなんら野球を祭った神様ではない。
がしかし、リーグ戦になると、「こんな場面でこんな偶然が起きるのか」 ということが必ず一度は起きた。
それは昨日も書いたように、勝つという執念の結晶であったかもしれないが、島岡吉郎という人は 「野球の神様」 の存在を信じて疑わなかった。
日韓決勝戦は野球の神様が降りてきていた。
内川の、レフト線のヒットをスライディングキャッチでしかもハーフバウンドで掬い上げ、立ち上がりセカンドへストライクの送球。
おそらく二度と出来ない神業である。
野球の神様は両国を平等に見ていた。
それで最後の最後に少しだけ日本の肩に手をかけたということだろう。
それにしても歴史に残る死闘だった。
日韓どちらが勝っても納得のできるところまで彼らは死力を尽くした。
鈴木一朗は、、、、、、、やはり半分人間じゃない。。。。
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